空軍で、人間狩りの訓練をした
子供のとき、狩りとは無縁だった。いちばんそれに近いものと言えば、叔父さんから22口径のライフルの撃ち方を教わったときくらいか。 標的は、叔父さんがジョージア州に所有する地所の廃屋の窓。叔父さんは私たちきょうだいに、発射時の反動に驚かないよう、ストック(銃床)を肩の凹みに固定する方法を教えてくれた(それでもやはり驚いた。肩がはずれたと言い張ってもおかしくないくらいの衝撃を受けた)。狙いを定めるときはターゲットそのものではなく、銃の先端にある照星上にターゲットがくるようにとか、引き金はそっと引くように、ということも教わった。 私たちは銃弾を半箱分費やして、破壊したのは窓1枚。でもそれは叔父さんがあらかじめ立てたプランだった。廃屋は地所の引っ込んだ場所にあって、背後には木立しかない。万が一、私たちが誤射したとしても、流れ弾が第三者に危害を与える恐れはほぼ確実にゼロとわかっていた。 正真正銘の狩りというものを習ったのは、成人してからだ。そのとき学んだのは、狩りには忍耐強さと、いかに冷静でいられるかが重要で、アドレナリンに負ければ狩りに失敗すること。狙いを外すのは悪であり、恥ずべきことでさえあること。そして、狙撃の名手になるのは誇るべきことであり、自分が仕留めた数をカウントして確実に記録することも教えられた。ほかの人から自分の手柄が認められ、祝福されるようにするためだ。 そういったもろもろを、空軍の訓練で叩き込まれた。人間狩りができるようになるための訓練。 8月29日、撤退中の米軍はミサイルを発射した。名目は、過激派勢力ISのアフガニスタン下部組織、ISIS-Kのカブール空港攻撃阻止のはずだった。だが誤爆だったことが判明し、10人の民間人が犠牲になった。彼らは人間狩りを行っただけだった。 私はドローン攻撃作戦を実行した経験は一度もないが、武装ヘリコプターで地上数千フィートの上空から人間狩りをしたことはある。空飛ぶ暗号言語学者的な役回りで、自分が搭乗している空軍機や地上部隊に差し迫った脅威を警告するのが、任務だった。 脅威の警告にはいろいろなタイプがあるものの、ほとんどの場合は原因となる脅威の除去作戦で終わる。ときにそれはチームの一員として、皆で力を合わせて敵方を死に至らしめる。単に爆撃命令が下せるかどうかの情報を確認するだけのときもあったし、みずから命令を下すこともあった。こうした殺害行為がすべて私個人に帰せられるかどうかはわからない。わかっているのは、すべての作戦に加担しているという事実だけだ。
「仕留めた数をカウントすれば祝福される」アフガンで人間狩りをした私が知ったこと(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
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